戦後70年/熊谷空襲

火垂るの墓」やってましたね。
もう、何度も観ましたが。序盤で泣いたよ。
 
駅のホームで野垂れ死んで、サクマドロップの空き缶に節子の遺骨が入っててね。
駅員が、ソレをぶん投げるのですが。ソレを悲しそうに見つめる清太。
親戚(?)のババアの気持ちもわかりますけどね。
清太が可哀想だなって思って。
何度か観てるうちに、清太にも悪いところがあったなって思って。
でも。一周回って、やっぱり可愛そうだよね。
あのババアも、無神経過ぎるところあったし。
戦後の状況下、必死に生きているんだから仕方ないけどね…
 
清太と節子も、もうすこし愛嬌があってもよかったかもしれない。
節子が居るせいで働きにいけなかったのはわかるけどね。
節子が死んだのは半分は兄のせいな気がするね。
 
 
 
さて。前置きが長くなりましたが。
熊谷空襲の事を書こうかなって思います。
毎年書いてます。
 
知らないお婆さんから、病院の待ち時間に話してもらった空襲の話。
興味なさそうに、聞いてしまって申し訳なかったな…
 
1945年(昭和20年)終戦を迎える前夜。8月15日0時23分から1時39分にかけて
アメリカ軍により行われた埼玉県熊谷市に対する空襲です。
太平洋戦争最後の空襲かつ埼玉県内における最大規模の空襲。
県内唯一の戦災指定都市になりました。
石原駅周辺には軍の施設が多かったから攻撃を受けたとか。
どっかの都市に間違えられたとか。
色々言われていますが。
 
周辺の寄居、花園、深谷も度々、攻撃を受けていたようで。
 
そーーえば、小学生の頃にそんな話を聞いた気がするな…
木造校舎の廊下に穴が開いたとか、そんな話…
 
 
まぁ、間違えられたってことはないでしょうね。
 
降伏することがわかっていたにもかかわらず。
ソレを告げずに攻撃させた、アメリカ軍は許せませんねぇ。
 
原爆もですが。
やりたかっただけなんじゃないかと思ってしまいます。
次の日、終戦の知らせを知った人達の気持ちを考えると。
本当に悔しかったでしょう…